英語と自分の関係

英語から日本語への翻訳レビューというものを初めてしてみた。

きっかけはマーケットで急に声をかけられたこと。日本人の友達と話しながら歩いていたら、「日本人?英語話せる?手伝ってほしいことがあるんだけど」と。(もちろん会話は英語で)

なんでも東京で開催されるデザインのコンペティションに参加するけれど、日本人の友達がいなくてデザインの説明文をチェックしてほしかったとのこと。こんな時期なのにコンペティションがあること、そしてアートの街メルボルンに住む人が日本のコンペティションに参加するということ。なんだかうれしくていいよと引き受けた。

翌日メールにて文章が送付されてきて、彼によるとそれはPapago(っていう翻訳アプリ?があるそうですね?)で自動翻訳してみたものらしい。はっきり言って、ようわからん。もとの英語も送ってもらって見てみると、彼の伝えたい概念と翻訳機の選ぶ言葉が違っていて、さらに英語だと確かにその表現なんだけど、日本語でそのまま一文にするとわかりづらいしもっと説明がいる、ということがよくわかった。あることばひとつ取っても、日本人の思い描くイメージと、彼らの持つイメージが異なることに気付いた。

 

今回一番ひっかかったのは「Diversity」。彼の考えでは、Diversityは大切だけれども、ひとつひとつのものの価値を持ち主が理解していないと、本当には意味はない、ということ。近年はものにあふれていて、ものを買ってはすぐに興味を失って次、次、といくことが多い。彼はそのことに疑問を持っていて、ひとつのものや行動に焦点を当てることをテーマにしていた。ひとつひとつのものや行動のもつ意味を考えることで初めて、Diversityのある人生は豊かになるとのこと。

Diversity=多様性だとなんか違うでしょう?ほかに訳し方あるのかなぁ。

結局あたしは「Diversity=たくさんのものがあること」と定義づけをして、そのまま英語として使った。これは彼ならではの概念も含まれていると思ったから。

全文を通してかなり行間を埋めて翻訳しなおしたから、言いたいことをきちんと抽出できていることを願うのみ。でも「ここでのこの単語や表現はこういうことだよね?」って本人に聞くときには英語を使わなきゃいけないから、日本語のニュアンスとして聞ききれない(英語で説明しきるだけのボキャブラリーをあたしは持たない)ところが難しく、それでいておもしろかった。

 

そこで思ったこと。翻訳者の人ってなんてすごいんだろう。

物語や史実を翻訳することに関しては比較的訳しやすいのかもしれないけれど、ある人の考える概念であったり哲学を訳すというのはそうとう骨の折れることなんだと思う。直接的な翻訳だと意味が取り切れないし、意訳をすると原文と見比べたときに本当にこれでいいのかと考え込んでしまう。一文をふたつにわけるだけでも最初は勇気がいったし、でも日本語で表現すると切らざるをえないしと思い直す。

そのうえ使われているワードの意図はこれでいいのかと著者に聞けないとかなり困ったことになるのは想像に難くない。ハリー・ポッターの翻訳者、松岡佑子さんが初期の翻訳に意味のとり違えがあったというのも、シリーズの最後の方まで伏線がかくされていて、最後になって初期の描写が効果を発揮するものだったからだと本当に納得できる。しかもローリングは秘密主義なので、本人に聞けないのはかなり難しい。それだけ隠された状態でよく訳されましたねと、自分で少し試してみたからこそ拍手を送りたい。

 

大好きな翻訳家、アレッサンドロ・ジェレヴィーニさんも、「翻訳者は裏切り者だ」と述べている。特に文化的背景が全く違う言語に訳しなおす場合、その文化圏では既知の人物、ことわざ、比喩表現を、訳される側の背景にどう置き換えるかという問題があるからだ。著者の表現している世界をそっくりそのまま伝えることはどうやってもできない。だからこそ彼は、翻訳された本がベストセラーになればなるほど、うれしい反面不安でもあるらしい。間違ったイメージを伝えているのではないかと感じるからだそうだ。彼ほどの言語能力を持ってしても伝えきれない部分はあるんだなぁ、と感慨深かった。

 

そして。最近英語の勉強にとダ・ヴィンチ・コードを読んでいたのだけれど、原文を読めば読むほど、日本語で昔読んだものを読み返したくなった。もう売ってしまって手元にないからまた買わなくちゃいけないけれど。ストーリーを把握するため、ではなく、表現をどう訳しているのかがすごく気になった。これはハリー・ポッターにも言えること。

それほど英語に親しんでいなかった頃には読み比べるなんて思いもしなかったけれど、どのくらい意訳しているのか、あたしの知らなかった英語ならではの表現をどう訳し切っているのか、とても興味が湧いてきた。そういう楽しみ方もあるんだなぁ、と新しい発見がうれしい。

それと、自分にとって英語を学ぶことの一番の楽しさは、もしかすると翻訳という作業を通してどう日本語で表現できるのかを知ることなのかもしれない、と感じた。どこまでいっても興味の対象は書かれた文章、どうしようもないBookwormなようだ。