つかえることば・なじまないことば

一般的にはみんなつかっているのに、なぜか自分でつかえないなぁと思うことばがある。

たとえば、日本語で書かれたときの「バイタリティ」。精力的なひとに使うんだろうけど、なんかしっくりこない。「生命力がある」とか「エネルギーがつよい」とか言い換えたくなってしまう。英語でつかう「vitality」に関してはこのほどじゃないんだけど。

自分の中にそのことばが浸透しきっていないからなのか、なんか抽象的で表現しきれていない気になってしまってつかえない。

同じようになんかつかえないのが、「素敵な人」という表現。「すごく素敵な人なの」とか、なんか言えない。素敵さにはいろんな種類があって、ひとくくりに素敵とまとめることができないような気がして、つかえない。他人が人をほめるときに「素敵な人なの」というのを聞いても、具体的にどう素敵なのかね、と聞きたくなってしまう。

でも「やさしい人」っていう表現にはひっかからないんだよなぁ。これもふんわりした表現だと思うんだけど、なぜかだいじょうぶ。

 

職場やまわりの環境で多用されている表現でも、自分になじまない場合はあたしはがんとしてつかわない。ちがう言い方を必ず使用する。

なんでこんなに気になるのかなぁと自分でも思うんだけど、意味がわからなかったり違和感があることばをそのまま使用してしまうと、自分で理解しきれていないものをそのまま放置してしまっている気になるんだろうなぁというのがいまのところの結論。漠然としてよくわかんないものをそのままにしておくのがこわいのかもしれない。わかった気になってほんとはわかっていないというか。

 

べつに神経質ではないんだけど、ことばでも食べものでも着るものでも、なんかひっかかるものってつかえないんだよねぇ。あんまりそういうのってっみんなないものなんだろうかね。