読書感想文③ 武士道

『武士道』 新渡戸稲造(訳:奈良本辰也

 

これは前職でお世話になった方から、退職時にいただいたもの。噂に聞いたことはあったけれども読むのは初めてだった武士道。

まず感じたのは、武士道精神の発展した頃の日本人というのは「名誉を大切にする」=「恥をかくのをいやがる」民族で、それが何世代にも渡ってすりこまれているということ。そして感情を表出することは誠意に欠けると考えられていたため、我慢強く、思ったことをすぐには発しないということ。

あぁ、これらはいわゆる日本人の特徴だなぁと感じると同時に、実際に武士という階級ができる鎌倉時代以前から、武士道のかなめともいえる「忠義」という考え方があったのだから、武士道精神というのは1000年以上に渡って日本人を育んだものなんだもんなぁ、と納得した。

 

そもそも新渡戸稲造がなぜ武士道という英語の本(論文?)を書くようになったかというと、「宗教教育がなくてどのように道徳教育を授けるのか」とベルギーの法学者に質問されたから。神道、仏教、儒教と教えられてはいるけれど、実際現在でも無宗教という日本人は多い。そこで新渡戸稲造が思い当たったのが武士道。逆に他の国って宗教をもって道徳教育をするのかぁ、と新しい発見だったりして。

だから内容としては、日本人の道徳観念(正しいと思うことを恐れずにする、他者への思いやりを持つ、礼儀正しくあること)の説明、忠義とはどういうことか、なぜ切腹して命を捨てるのか、ということが書かれている。

武士道精神なんて今はもうないんでないの、と思ったりするかもしれないけれど、例えば「「個」の意見より「全体」のことを考える」、「礼儀正しくあるためには多少の嘘(いわゆるお世辞とか)をつく」、「人に笑われないことが何より大事」なんていう考えは多くの日本人に今でも当てはまる性質だと思う。また武士が損得勘定をとるのは卑しい、という考えから算術を学ばなかった、というのは、現在の日本の主な大学がアメリカの大学と違って研究成果を収益に結びつけられないことと関係があるのかもしれない。もしくは投資に消極的な人が多いこととか。

あとは「妻は夫のため、夫である家臣は主君のため、自己を否定して仕えるのが忠義」ということからわかるように、自己否定により成り立つ文化だったといえる。自己肯定している人の割合が日本に少ないのは昔からの風習か、ということが見えてくる。

特に日本以外の場所にいる機会が長いと、自分たちの国民性はなぜこうなのか、ということを考えるようになる。そういうタイミングにちょうど読んだから、日本人として驚いたし、これは日本の国民性を説明するのに本当にわかりやすい文献だなぁと感じた。原文(英語)をぜひ読み直してみたい。

 

ここまでで、武士道で紹介される日本人の性質について、否定的に受け取っているとみられる書き方になっているかもしれないけれど、いけないとは思ってない。ただ、長らく続いた封建社会に生き、主君に忠義を尽くすことが何より大切で、名誉を重んじ、自分を律してきた我々が、仕えるべき、また逆に仕える代償として絶対的に守ってもらえるものをなくしてしまった、というところから変容できていないのかな、と思う。

封建社会での君主、明治以降の天皇、戦後でいうと終身雇用を約束した会社、そういったものが絶対ではなくなって、それらのために働くということが何より大切だったから、それが揺らいだときにどうしていいかわからなくなる。実際、働くことには一生懸命でも、仕事のないときにする趣味が比較的少ないというのはままある話ではないかな。

もはや「恥」を気にしなくていいんだよ、という認識だけ変えれたら、その他の「正しいことを行うこと」、「他者へのあわれみを持つこと」というのはすごく大事なことなのでは、と思っている。