最近の課題

自分のしたいこと、今後の生き方、について考えている。

 

もともとあまり上昇志向はなくて、成功するだとか富を手に入れるという考え方はしっくりこなかった。だから本はたくさん読んできたけれど、啓蒙書の類はチラ見しかしてこなかった。どちらかというと避けてきていた。しかし今回、せっかくの機会なので読んでみた。

いわゆる「成功するために」という考え方では、まず自分が何をしたいのかという「願望」をはっきりさせること、目標を持つことが何より大事だといわれる。そして計画を立てて実行していくことが必要だと。

はて、そこでふと立ち止まる。

そこまで熱意を持ってしたいことって思い浮かばないんだけどなぁ、と。

 

困りながらも、仕事に限らず、この一生でしたいことを真剣に考えた。そこで思い至ったのは、「子供を産んで育てること」であり、「自分が子供だった時と同じようなタイムサイクルで暮らすこと」だった。つまり、朝起きてご飯を食べる余裕のある状態で一日をはじめ、子どもがご飯を食べる時間に無理なく帰宅し、作って一緒に食べられること。

おそらくそれが最も優先させたいことで、それを可能にする働き方ができるのであれば、「この仕事でないとダメ」とは思わないのだろう。

ただ実際に、日本に戻って仕事を探すことを考えると、おそらくこれまでの知識を生かして就ける職、それも正社員を目指すんだろうなと思っていた。そしてそれに向けて、今いる場所で意味のあることをする必要があるのではないか、と感じて焦っている。

そこまで考えて、ようやく最近の悩みとはその焦りが原因だったんだ、ということに思い当たった。その焦りは、自分ではなく、他人から見て意味がある結果にフォーカスしすぎていたことから生じていた、ということにも。

 

本来仕事をやめて旅行をすると決めたのも、もちろんもともと旅行したかったという理由もあるけれど、オーバーワークでよく考えられなくなっていた自分を見直すことが大きな目的だった。でも例えばなぜオーストラリアに来たか、なぜワーキングホリデーという選択肢を取ったのか、と聞かれたときに、「旅行しつつ働けたらいいじゃんね?」という元来の理由じゃなくて、「英語をもっと使えるように」とか「こっちのインターンシップにも挑戦してみたい」とか、後付けの、そして他人に納得してもらいやすい理由を答えるようになっていた。なぜなら背景の説明をしなくてもわかってもらえるから。

でももともとの理由はそれじゃないから、予定を変更するときに何かと説明しないといけない。特に今回のように世界中で正常でない状況になった場合は。

 

で、そこで気づいたのが、人から見てわかりやすい、いわゆる「正当な」選択肢を選んでたんだなぁっていうこと。「なんで?」と聞かれて説明できないのがいやだから、説明しなくてもわかってもらえる、安心で安全な選択をしようとしていたこと。

日本に帰って仕事を探すにあたっても、自分の本当に優先させるべきことが「時間」なのであれば、カジュアルな働き方を考える選択だってあったはずだけど、がっちり働くことしか見えていなくて、「あぁ、また長時間働くなんてことができるんだろうか」と不安になっていた。でもそれも、「どうして大学まで出て、それなりに長く働いて、オーストラリアまで行ったのにその選択をするの?」と聞かれることへの防御。

どんな働き方であってもいいんじゃないの、と今まで口では言ってきて、心からそう思っていると信じてた。でも、実際自分が選択するときには、正当というか、一般的なところから外れることを避けていた、すごく虚栄心を持っていた、ということに初めて気づいて驚いてしまった。

比較的好きに生きていると思っていたけれど、自分でも知らないうちに、他人の目をすごく気にしていたということ。びっくりした。ショックでもあった。

 

ただ、本当に無意識のうちに選択していることが、まわりの目を気にしていることに、芯から気づけてよかったなぁ、とも思う。だって自分でなんでも選んでいる、と信じ込んでいたのに実際は目に見えないところで他を気にしていたなら、いつまで経っても本当に大切にしたいことが見えなかったろうから。

 

ちょっとまだ難しいけれど、自分の望むことと、他人から見て望まれる(と思い込んでいるだけかもしれないけど)こととを、分けられるようになろう、と思った。今のところの課題。