読書感想文⑤ 落陽

『落陽』 朝井まかて

 

帰国後、東京に滞在しているあいだに明治神宮に参拝した。全く知らなかったけれども、今年で造営されて100年になるとのこと。展示されていたパネルを見て驚くとともに、明治神宮の杜(もり)が人の手によって造られたものだということも実は初めて知った。

 

そして大阪に帰ってきて本屋に本を大量に仕入れに行ったときに目に入ったのがこの本。友達にお勧めされてから朝井まかては大好きで、気になるものがあるたび読んでいた。しかしまさか明治神宮造営についての小説をこんなにタイムリーに見つけるとは。

彼女の本はいつもそうだけれども、あれよあれよと読み進めてしまう。そして読むたびにそうだったのか、と勉強になる。

明治維新後、国の求心力を高めるために京都から移動した明治天皇。当時御年は数えの17歳。愛する京都。幕末の戦いで見る影もなくなった東京。しかし政府のためにと江戸城跡に移り、亡くなるまで東京で暮らす。しかし、だからこそ、亡くなった後は京都に眠りたいとして霊廟は京都に作られる。

神とまであがめられた天皇を、なんとか東京に祀りたいとして造営を計画されたのが明治神宮だった。しかし人口の森を造るには、東京はあまりにも痩せすぎた土地である。そこで、150年経って初めて完成される森を造る計画が立てられる。

 

何も知らずに明治神宮を歩いていたときには露とも思わなかったけれど、あの壮大な森が人の手によって造られていたこと、そしてそうまでして祀りたいと思わせるほどの天皇の権威。見事に描かれていると思う。

そして何より、それまでは神事を行うことが重要とされた天皇が、近代国家の君主として他国の君主と対等に外交しなければいけなくなった事態。天皇の存在意義とは、自分の役割とは、と悩み考えつくしてきた姿が心に残る。

 

国を想い、民を想い、その想いを一身に背負う天皇という存在。並大抵の心構えでは務まらないんだよなぁ、と再認識した。そうして日々祈ることを続けているから、天皇という存在はあれだけ威厳を放っているんだなぁ、と、奈良の橿原神宮で拝見した平成の天皇陛下の、何とも言えない気品ある存在感を思い出した。

 

時代は変わる。しかしそれでも人々の祈りは続いていく。